食と豊かさを考える – 福島香織 著「中国食品工場のブラックホール」

食べ物を誤ってテーブルや床に落としたとしても、数秒以内に拾い上げたら、食べても問題ない、と言う「3秒ルール」とか「5秒ルール」が日本にもある。
食べ物に対する清潔感とは不思議なもので、例えばトレッキングに出かけて、沢を流れる水は美味しいとごくごく飲めるだろうけど、そこに誰かが落としたおにぎりの残党たるご飯つぶなどが浮いているものなら、なんか汚された感じがして、沢の水を飲むことを躊躇ってしまう。食べ残しか知らないが、ご飯つぶは食べられるものなのだから、たいして問題は無いはずだ。むしろ清流にみえる沢の上流で、誰かが放尿しているかもしれないが、そのことは分からない。

アメリカが本社のOSIグループの中国現地法人である上海福喜食品が”潜入取材”で暴露された問題のうち、一つは床に落としたお肉をそのまま拾い上げて加工プロセスに乗せたこと。ぼくらの「3秒ルール」に照らし合わせると、特に問題行為とは思えない。むしろ、床に落としたお弁当のソーセージはそのまま食べちゃくこともあるけど、上海福喜食品の「3秒ルール」は、その後加熱処理するわけだから、むしろ安全性が高い。
もう一つの問題、賞味期限について言えば、私の奥さんは相当無茶をする。賞味期限切れの食材を家族に食べさせるために、良く言えば工夫している。ちょっと臭いがするような食材でも、料理にまぜて使ったりする。冷蔵庫をのぞき込み、消費期限切れの食材を発見すると、私や息子は不安を告げるが、よほどのことが無い限り、使いきっているようだ。このことでお腹を壊したことはまだない。
貧しかった頃、人々は工夫したもので、腐った豆や魚を食べる勇気がなかったら、味噌や醤油や納豆やナンプラーの発見は無かったはずだ。ホームレスの人がコンビニのゴミ箱から食べ残こしのサンドイッチの欠片を拾って食べたとしても、それは果たして不潔なのだろうか?
大量生産のために画一化された規格に外れたものが、食品として不適格と考えるのは、豊かになった私たちのおごりと言えるのではないだろうか?

けれども、化学物質の混入はまったく別の話だ。
ごまかしでも悪質だし、落としたものや期限切れのものを混ぜることとは本質的に異なると思う。
とは言え、これも中国固有の問題とは言い難い。
大戦後の日本の子どもたちは、アメリカから強要され脱脂粉乳を給食で飲まされ続けてきたが、栄養価を高めるためメラミンを添加されたものだったらしい。乳児ではなかったら生き抜けたのかも知れないけれど、貧困・食糧不足のフェーズにおいて、故意に添加物で価値を上げるという手法は古今東西行われてきたのだと思う。
メラミンもチクロもサッカリンも、昔はその危険性を深く追求されてこなかった。
けれども現時点で、明らかに危険・有害と認定されている化学物質を混入することは、許される行為とは言い難い。

著者も触れているが、地溝油や人工卵やフカヒレ、アワビには、エネルギーや食料不足に立ち向かうためのヒントがあるようにも思える。
使用済み食用油や残飯から生産される地溝油は、そのままでは食するに危険だ。けれども有害成分を除去する技術が確立すれば、エコロジーの循環が作れるかもしれない。少なくとも、灯油や重油に代わるエネルギーとして利用することは可能だろう。
人工卵などの食材も安全性が確保されれば、安価にタンパク質源を供給できるとともに、哀れな鶏を増やさなくとも済むかもしれない。安全で美味しいフカヒレが生産できれば、生態系破壊は少しでも抑えられる。
そもそも日本人が好んで食するイクラや数の子だって天然物などごく僅かなはず。世界に誇るカニカマ(裕福になった日本ですら、カニカマと積極的に表示せずカニサラダなどが売られたりしている)を創った技術力と安全管理の手腕を以って、日本企業が力を貸してあげたらどうだろう。

本著にもある通り、中国でも都会で良い生活をしている皆さんは一般的に食への安全意識が高い。また、自ら生産する農牧民もそうだろう。いんちき食材のターゲットは、安全な食品を手に入れることが出来ない中流未満の貧しい人々だ。こうした人達は、安全より空腹を満たすことが大切なのだ。
安全が保証された食品は決して安価ではない。アメリカでは豊かでない人々ほど肥満が多い。これは安全とは言えない工業的大量生産のお肉やファストフードを頻繁に食べているから、と言われている。
食の安全の本質は、誰もが安全な食品を食べれるような世界を目指すことだろう。
中国のように、安全な食品を食べれる人たちとそうでない人たちが混在している国だからこそ、問題が顕在化する。それは決して悪いことではない。アフリカの一部の国々など、安全な食品を手に入れられない人たちがマジョリティの地域だって、地球上にはたくさん残されており、危険な食品問題は顕在化されにくい。乳の出ない母親にとっては、メラミン入の粉ミルクであっても、やせ細る赤ちゃんに飲ませてあげたいものではないか。

ところで、上海福喜食品の”事件”は、外資系工場・外資系ブランドの製品であっても、中国の豊かな人達は、その安全性や品質を信じていない、という事実をみごとに裏付ける出来事といえよう。
日本ブランドのオムツやトイレタリー、粉ミルクなど、赤ちゃん用品や日常肌に直接つかう商品は、中国で人気が高い。日本企業の多くは、売れ行きの良い商品から中国生産に切り替える。特に紙おむつや生理用品など物流コストが高くつく商品は、消費地の近くで製造するに越したことはない。中国向けにスペックを落とす商品もあるが、最近は日本向け商品と同じスペックで中国で製造する商品も多い。
それなのに、中国製造商品は人気がない。同じスペックの商品でも、わざわざ日本製造の商品を日本から買い寄せる。
これは、中国人が中国人を信用していない証左だ。厳密に言えば、日本ブランドが買えるような中流以上の中国人が、日本ブランドなど外資系工場で働く中流未満の中国人を信頼していない、ということ。
いくら原材料や製造プロセスが同じと言っても、中国人が製造工程に関わっている以上、いんちきやズルがあるかも知れない、異物が混入するかもしれない、プロセスで手抜きをするかもしれない、だから中国製造は信頼出来ない、というロジック。
日本企業の品質管理は万全です、と胸を張れない事情もある。モチベーションの低い日本人工場長がいないとは言えないし、そもそも万全な品質管理などありえないのだ。

本著にも触れられていたが、日本企業と欧米企業では中国企業の現地化の方向性は概して異なる。
日本企業の場合、日本の本社から派遣されたトップが、現地社員と一丸となって、理念から啓蒙していく手法が一般的。欧米企業(特にアングロサクソン系)は、海外経験のある華人のエリートをいきなりトップに据える。どちらにも一利一害があって、どちらがうまくいくとも限らないと思っている。結局は人、特にトップの人格や能力に依ると考えている。
少なくとも、日本式の心が通じ合えればマネジメントもうまくいく、とかしっかり教育・養成すれば幹部として定着するとか、という幻想は捨てたほうが良いと思う。日本的品質管理は、性善説と長期雇用の家族主義に支えられている部分が多い。中国に限らず、多くの国々では通用しない、と思う。
インセンティブとペナルティ、飴と鞭で管理しなければ、立ち行かなくなるはず。
工場で働く人たちは、自分たちが作っている食品を、値段が高いため自ら口にすることができない。工員はやっかみでイタズラもしたくなるだろうし、そう考えれば、管理側も日本式教育だ育成だ、とも悠長には言ってはいられないだろう。

”この食品、商品をどんな人たちが作っているのか、その人たちの給料はどのくらいで、どんな暮らしをしているのか、どんな思いで作っているのか”
本著の締めくくりにあるように、私たちは食するとき、消費するときに、一瞬でいいから想像してみたいと思う。同時に、この食品、商品を享受できるのは、どういう人たちで、どれくらいありがたいことなのかを。