水は低いところに流れていく — 福島香織著「中国複合汚染の正体」

中国の大気汚染はPM2.5という指標とともに、日本でも関心が高まった。
中国国内メディアも頻繁に取り上げ、中間層・富裕層を抱える沿岸都市部を中心に関心が高まり、共産党政権もその足元を揺るがしかねない問題として、その対策に乗り出している。

しかし、中国では国内で報道されず、海外メディアが取材しようとしても地方政府に妨害されるような土壌や河川の汚染が多く発生している。こうした汚染地域にはがんの発生率が高く、「がん村」と呼ばれているところもある。その多くは農村部にあるため、中国都市部に住む中間層・富裕層の大多数にとっては他人ごとであり、共産党政権の中枢にとっても封じ込めておけば大問題にはならないという意識がある。

都市部に住む共産党幹部は、PM2.5濃度の高い汚染された空気を逃れることはできないが、「がん村」に代表される水質や土壌が汚染された地域の水を飲むことは無いし、農水畜産物を食べることも無い。
このことは、共産党幹部に限らず、中国の多くの中間層・富裕層にもあてはまる。

政治指導部や金持ちにとって、大気汚染は自分の問題でもあるが、水質や土壌の汚染は他人ごと。
だから、PM2.5はメディアに露出し、いちおうの対策も進んでいるが、もう一方の問題はほとんど置き去りなのだ。

さらにマクロな見方をすれば、中国に汚染を押し付けたのは先進国だ。特に日本の責任は重い。
高度成長期の日本は公害で悩まされた。被害が大きくなり、国は公害対策に乗り出した。排気も排水も汚染物を除去するように義務付けられ、市民社会の監視も厳しくなった。
日本企業が製造拠点を中国に移した主な理由はコストだ。人件費も大きいが、公害や環境対策費も重要だ。中間材料なども、中国などから調達するようになった。
そして、日本は工業を海外に移し、サービス産業のポートフォリオを得た。

いっぽう、最近までの中国の経済成長は、日本をはじめとする先進国の工業を受け入れることで加速した。
多くの中国企業は、先進国からのコスト要求を満たすことと自らの利益を拡大させるために、環境対策を軽視した。
極論するなら、その最大の被害者は中国の地方農村部などの汚染地域で生活する人たちであり、最大の利益享受者は先進国で暮らす私たち自身なのだ。

本著では、とある「がん村」の原因をつくったとされる味の素についても触れている。
河南省の蓮花味之素(中国国内向けにうま味調味料を製造)は排水を浄化するコストを惜しんで未処理のまま垂れ流した。川には奇形の魚が泳ぎ、村民のがんの発生率は高まったという。味の素は、合弁会社の経営陣が勝手にしたこととし、責任を逃れるように合弁事業から手を引いた。
確かに、排水浄化システムは味の素のノウハウを活かして導入された。コストを抑えるため中国側の経営陣が稼働させなかったのだという。
しかし、合弁会社の株式は味の素グループで過半を占めており、共同経営責任とともに株主責任は重いはずだ。

中国のさまざまな汚染の責任と対策を、中国一国に押し付けても解決しない。
私たちの快適な環境の歪を押し付けられてきたのだ。
中国の政治体制が変らない限り、例えば企業責任が公平に問われる環境、恣意的な司法と法執行の改善が進まなければ、なかなか解決しないだろうとは思う。
けれども、中国の汚染は少なからず私たちが消費するモノにつながっている。中国に汚染を押し付けている企業を見ぬくこと、そうしてコストを抑えたような商品を避けることなどはできる。

水は低いところに流れる。汚染物質も貧しいところに押し付けられるのだ。


馬い一年でありますよう

美味しいものが食べられる一年でありたいと思います。

なにも高価なものを食べたいのではありません。

でも、食べたいものを食べれるくらいの稼ぎは欲しいと思う。

健康でなければ、何を食べても美味しく感じない。

だから、健康でありたいと思う

しあわせであれば、楽しければ、何を食べても、美味しく感じるものです。

健康でしあわせであることを、

皆さんにとっても、馬い一年であることを願います。

そして、この地球のすべての人たちが、

最低限の食事であっても、日々の食事の心配をせず、

それを美味しく食べることができますように。

 

ソウル・マイニング- 音楽的自伝 by ダニエル・ラノワ

U2の”Joshua Tree”、Bob Dylanの”Time out of my Mind”、The Neville Brothersの”Yellow Moon”は、ぼくの大好きなアルバムの一部だ。iPhoneに残された再生回数はどの曲も30回を超えている。
これらのアルバムをプロデュースしたのがDaniel Lanoisであり、本書の著者だ。

多くの自伝にあるような苦労話や自慢話とは異なる、音の採掘人としての彼の人柄が滲み出た書物であり、彼が求めつづける音楽=魂を探し当てるためのロード・ムービー。

録音に入る前に、Lanoisはアーティストと語り合うという。
どんな音を求めているのか、どんなアルバムを目指そうとしているのか。
カウンセリングだ。

それから、音を用意する。
ミュージシャンが演奏するための最高の環境を準備する。

Lanoisが拘ったのは、バラバラにならないこと。
いまのレコーディングといえば、楽器ごとにブースに入り、ガイドのクリック音に合わせてトラックを録音するような、孤独なスタジオミュージシャンをイメージしてしまう。
もはや誰もがDTMによる重ね録りで、それなりのサウンドをシミュレーションできてしまう。
けれども、Lanoisはライブなグルーヴ感を追い求めた。
アーティスト同士がアイコンタクトできる。インプロヴィゼーションできる。
廃業した映画館にステージをこしらえて、テープを回す。一体感が奇跡を誘発する。
だから、単一音源。
個別トラックを後からミックスするのではなく、セッティングで音の奥行きや広がりをつくる。

Lanoisは、情報共有にも拘った。
例えば、エンジニアやミキサーしか見ることができなかったタイムコードを、誰もが見ることができるようスタジオに掲示した。
アーティストは、満足できなかったフレーズのタイムコードを記憶に残せるから、効率が上がる。
金魚鉢のようなミキシングルームから、トークバックで怒鳴りあうことも無い。

そして、機材を大切にすること。
「機材が壊れていたり、ほこりを被っていたりしたら、自分の人生を見直す必要があるとわかるのだ。」
アーティストと同じくらい大切な機材。少なくともこいつは大切にしていれば、言うことを聞いてくれる。

Lanoisの拘りは、そのままビジネス・マネージメントに活かされる。
メンバーとよく話し合い、目標を共有する。
事前に最高の準備をする。
一体感を保つ。
情報を共有する。
後方支援部隊を大切にする。

もちろん、Lanoisがいつもアーティストとうまくやってきたわけではない。Bob Dylanとは彼との協働に満足していなかったことを告白している。
アマチュアであろうが一度でもバンドをやったことがある人間は、互いの方向性が合わなくなった時の嫌な雰囲気を体験しているはずだ。
レコーディング中、スランプに陥ったり、期待されたプレイが出なかったり、雰囲気が悪くなっても、商売になる音源を完成させるのがプロデューサーの仕事だろう。
Lanoisは駐車場やホテルの部屋で、離れつつあるアーティストをつかまえて語り合い、引き止め、モチベーションを取り戻させたのだろう。
苦労話は語られていないが、行間からは滲み出ている。

本書は音楽好きはもちろん、マネージメントに悩んでいるビジネス・パーソンに対しても、インスピレーションをかきたてるだろう。

在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由

日本人の中にも、中国は怖い国で中国人は野蛮だと思っている人たちはいる。
中国人を乗せないタクシーもあれば、未だに中国人お断りの温泉旅館もある。
ただ多くの日本人は、中国人に面と向かって、そうは言わない。
一部の中国人が、ストレートにモノを言い、感情を顕にするのと違う。
ただそれは、日本人に対してだけではない。自国民に対しても遠慮はない。

政治に関わる国家間の問題は、国民ひとりひとりに関わりがない、とは言えない。
特に日本は民主主義を謳っているのだから、領土問題にしても外交問題にしても、突き詰めればそれは国民ひとりひとりの意志となる。
尖閣諸島を国有化した政治判断にしても、ほんらい日本国民ひとりひとりに説明責任がある。
中国と少し違うところだ。
中国政府が、尖閣諸島を占領しようが、チベットの人たちを虐げようが、中国人民は他人事としても責は問われないだろう。

ただ日本という国家はかつて中国の人たちを虐げた。だが中国は近世以来日本を侵略したことはない。
これは事実だ。
そして、日本が中国で起こした戦争について、日本国民の責を問わない。
これも中国政権が一貫して撮り続けている態度だ。

この書籍の編集者、執筆者、写真、レイアウト、すべて中国在住の日本人だ。
2012年の反日機運の高まりを、一次情報として自ら体験した人たちだ。
そして、その想いはそれぞれだ。

ただ共通していることがある。
メディアの伝え方に対する異議だ。
身近で体験し感じたことと日本のメディアが日本国民に伝えている内容との乖離。

ぼくは、日本の商業メディアが、日中関係を悪化させている張本人の一つだと思う。
中国のメディアも反日を煽る。でもそれは政治にコントロールされているメディアがほとんどだ。
しかも、中国人民はそうしたメディアが伝える情報をあまり真剣には受け取らない。
多くの日本人が、メディアに妄信的であるのに反して。。。

中国では借金してる奴が一番偉いのだ。

  • 6月20日、SHIBOR(上海銀行間出し手金利)が急上昇し、短期で10%を超えた(いまは、ほぼ落ち着いた状態に戻っている)。
  • 「銭荒」(資金不足)という言葉がニュースやネットを飛び交う。
  • 大手・中堅商業銀行、デフォルトの噂。
  • 銀行側がシステムトラブルを原因とするATMの利用停止が、取り付け騒ぎ防止の策と囁かれる。
  • そして、中国株は連続して大幅な下げ。

中国経済の破綻を期待する向きには、恰好な材料が揃った!

多くの人達は、シャドウバンキングを悪者にする。
資金は余っているのに、正しく流動しないで、良くないところに留まっている、と。

ぼくは経済の専門家ではないので、実務上の経験を披露したい。
中国で中小企業が銀行からまとまったお金を借りることは、そう簡単ではない。
かつての日本の銀行同様、固定資産くらいしか評価しない。
事業拡大のための資金を調達するには、銀行からの融資よりも、個人・エンジェル・VC・PEなど様々なタイプの投資家から出資を受けるほうが、むしろ簡単なのだ。

事業拡大資金なら、投資を受けることもできようが、日常の運転資金となるとそうもいかなくなる。

銀行が貸してくれないと、知人友人縁故を頼りに資金を融通してくれるところを探すことになる。
その一つにシャドウバンキングがあり、裕福な個人がいる。

とは言え、シャドウバンキングの金額的な最大顧客は地方政府や地方の開発を託された中小ディベロッパーだろう。

地方政府は相変わらず農地や荒地を開発して、工場や企業を誘致し、地元雇用を確保し、地元住民の所得向上を目論むからこそ、家賃が以前の百倍になろうと、彼(彼女)たちが住むような住居までも用意しようとする。
そのための資金は、元住民や耕作者から分捕った土地使用料の転売代金と若干の公費しか無いわけで、ディベロッパー(開発事業者)が資金を肩代わりしなければならない。

イケてるロケーション、スマートな地方政府などであれば、香港や台湾資本を含む大手ディベロッパーが手を挙げてくれる。
でも、そんな地方開発が中国のいたるところで行われているわけで、こりゃイケてない、企業誘致もままならないから、投資回収できない、みたいな開発事業のほうが、数としては圧倒的に多い。

そんな事業には銀行としてお金を貸せないから、迂回融資的シャドウバンキングが蔓延るわけだ。

こうした地方開発事業は、すごく早くて3年、一般的には10年くらい経たないと、キャッシュ・インの状態にはならない。
その間は当然、資金の流動性が無くなってしまうで、プロジェクトの途中で資金繰りがつかずに頓挫するケースも少なくない。この場合、プロジェクトの引き取り手が見つからない限り、現金化することはできないわけだ。

話は変わるが、中国では債務を持つものが最もパワーを持っている。
借金してる奴が一番偉いのだ。

売掛金をなかなか回収できないことは、中国で仕事をやったことがある日本人なら誰でも経験済みだろう。借金も基本は一緒。返せないから返さない、この論理が意外なほど中国では通用する。

中国では企業間貸借は法律上認められておらず、銀行を通した委託貸付にしなければならない。だが、銀行から手数料をピンはねされるのがイヤで、実務上企業間のお金の貸し借りは直接行われることも多い。

これは、法的保護外なので、会計上は貸付金にせずその他未収金で計上され、借主が返さなくとも訴訟沙汰にしにくい。

お互いの信頼関係で、貸し借りするので、バックレるということは少ないのだが、期限まで返済する(できる)ことは稀れ。契約書の更新もされず、「出世払い」ということで放置されている債権・債務が驚くほど多い。
これもまた、資金の流動性が損なわれる一例だ。

ただ、不思議なことに、こうした債務は長い目で見れば、取り返せる場合が多く、中国の企業家にとっては日常的な話なのだ。

中央銀行である中国人民銀行は、「資金は足りなくないのだから”金融緩和”の必要はない。むしろ、資金が滞らないように流動性の管理を徹底しなさい」と銀行に説教を垂れた。

資金の流動性を確保するためには、

  • まず、地方の開発資金を銀行が正規融資するように仕向けるべき。国際会計基準などお構いなしで、出世払いで返済してもらえば良い、くらいの覚悟をもって。
  • 事実上凍結されている新規上場を再開させなければ。IPOでのエグジットを目論んで、中国企業にたくさんの資金が流入したままだ。株式公開でもしなければ、資金は動かない。ま、それが怖いから、新規上場を凍結しているわけでもあるのだろうけど。。

 

 

 

女神記 – 桐野 夏生

陰の巫女・ナミマとその姉で陽の巫女・カミクゥの物語。
ナミマと彼女を裏切った男・マヒトの物語。
そして、イザナミとイザナギの物語。

ナミマが育った南の島は、琉球の創世神アマミキヨが降りて国造りを始めたとされる沖縄県久高島をモデルとしているようです。
久高島にはいまも女性を守護神とする精神文化を伝え残しており、つい最近まで神女となるための通過儀礼イザイホーが行われていたそうです。
ナミマは掟を破り、マヒトは”家”のためにナミマを裏切り、妹と夫の過去を悟ったカミクゥは海に身を投げます。
イザナミは、イザナギに裏切られ、黄泉の国で毎日千人の元夫の”後添い”を殺し続けます。

イザナミはイザナギとの交合により、日本を形づくる島々や森羅万象の神々を産みました。
けれども、日本の国造りに関わるアマテラスを始めとする神々(人神)は、イザナミと離縁した後に、穢れを禊いだイザナギが”単性生殖”で産み出しました。
男と女、生と死、陽と陰、昼と夜、明と暗、浄と穢、天と地。
前者は尊く後者は卑しいとされ、古事記の世界でも、女神は陰であり、創造は男神の専任事項とされたのです。
大阪市長の例の発言も、きっとこうした精神が根源にあっのでしょう。
しかしこの物語で、イザナミは終始イザナギより優位に立ち、ナミマはマヒトを赦すことになります。
桐野は、きっと女性の本質的な強さと尊い役回りを描きたかったのでしょう。

国会事故調 報告書

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会が国会に提出した報告書。

お役所仕様のB5判横組み592頁、しかもエグゼクティブ・サマリー、サマリー、本文と三層構造になっていて、非常に読みにくい書物だった。

でも、テレビや新聞だけでは知りえなかった多くの(恐らく)事実が明らかになった。

まず、現場の人たちは、事故発生当日3月11日夜の時点で、既にメルトダウンを認識していたこと。

現場の人達は、官邸がどうこう議論したり指示したりする随分前に、ベントの準備を始めていたこと。

当時の清水東電社長や幹部が、どう考えていたかは別として、現場の人達は、最期まで現場に留まり、原発のコントロールを保とうとしたこと。

11日夜に出された政府の3Km圏内避難指示は、対象住民どころか、福島県にすら伝わっていなかった。

避難指示を受けた住民の9割には、その理由が原発事故だと伝えられなかったし、津波や余震のために避難するのだと受け止めた住民がほとんどだった。

準備していたヨウ素剤は、ほとんど配布すらされなかった。

原因はいろいろ指摘されている。対策や提言も記載されている。

ただ、最も重要なのは事実がかなり客観化されて明らかになったこと。

政府や東電に甘いと思われる記述も多いが、より多くの人たちに読んで欲しい書物だと思った。

本書は国会図書館のサイトからもDLできるが、パソコンの画面で完読するには根気が必要だと思う。