習政権の盤石化 – 高口康太著「なぜ、習近平は激怒したのか」

中国の共産党一党支配体制が近いうちに崩壊することは無い。
中国経済の低成長化の影響は、
中国国内よりもむしろ中国国外のほうが大きくなる。

20年近く仕事で中国に関わってきた僕はこう感じていたけど、
この本は、それをより確信に近づけた。

お上(政府)に過大な期待をする、
過剰に責任を追求する。
これは日本や中国に顕著な事象に思える。

日本はいちおう自由主義・民主主義の国家なのだけど、
西欧米のように革命や独立でそれを奪い取ったわけじゃないから、
主権者としての権利が優先してしまいがちになる。
民主主義の原点は主権者たる国民が自らの生命や財産を守ること。
自国防衛まで他国任せの我が国には、
民主主義のプレイヤーとしての自覚が足りない。

中国は独裁国家と言われるけど、
専制国家とは違う。
民の不信や不満が爆発すれば、独裁体制は容易に崩壊する。
大陸では太古から「徳」を呼ばれていたものが、
独裁体制を合理化してきた。

不信や不満をある程度強権で抑えつけることは不可能ではないが、
一定の量を超えたら抑えきれなくなるし、
世間(外国)の眼もあるから、かつてのように大虐殺などできないだろう。
中国のトップに立つ人たちはそこまで馬鹿じゃないから、
加減を考えながら、押し引きするだろう。

残念ながら、外国メディアに取り上げられたり、
ネットで話題になるような”人権派”や”民主派”の活動は、
中国国内では然程話題になってはいないし、
彼女/彼らへの抑圧行為は、
外国の民主主義政権が、
腰を上げて問いただすレベル以内で収まっているのだろう。

片やこの十年で、多くの中国人民は豊かになり、
生活に選択とゆとりが生まれた。
自分や家族や親戚の暮らしが、以前よりましになっていくほど、
政治は非可視化されていく。

自分や周囲の安寧な生活が脅かされることになると
ようやく政治/政府を思い出す。
近所に廃棄物処理場が建つとか化学工場ができるとか、
NIMBY小市民の思考は、中国も日本も大差無い。

理財商品の元本を保証しろ、とか
株が暴落したから何とかしろ、とか
爆発現場に近くて地価が暴落したから買い取れ、とか
そういう時に政府を頼ろうとするし、
政府も(波及効果も含めて)ボリューム層が騒ぎ出せば、
なんとか対応の姿勢を示さざるを得ない。
これは既存体制を前提とした事象だ。

しかも、こうしたボリューム層には、
著者が指摘したように、
共産党独裁体制下の既得権益者が多い。
中国でビジネスがそこそこうまく行っている人たちの多くは、
直接的・間接的に政権から利益を享受されてきたと考えて良い。
それは政策そのものからかも知れないし、
役人への心付けからかも知れないし。

もちろん、不幸にもこうした流れに乗れなかった人たち、
乗ることを拒否した人たちもいる。
もはや少数派と言える彼女/彼らが、
政権に対する不満を表現する場として、
インターネットが期待された。

習近平登城以前には、日本のメディアでも
中国のネット書き込みが即、中国の世論を代表するような
取り上げ方をされた。
インターネットを利用した、政府への不満を拡散する手法を
習近平が人民から奪っただけではなく、
かつてネットユーザーが生み出してきた手法を
政権側は活用するようになった、と著者は述べている。

中国においてインターネットの影響力はいまも甚大だ。
口コミによって、思いもよらぬ商品が日本で品切れになるほどだ。
それは、日常生活やエンタテインメント、
普段の暮らしをちょっと豊かにしてくれる情報に関して。
元々多くのネットユーザーは、自分と直接関わりのないテーマに関しては、
野次馬でしかない。
日本もそうだろう。

かつて中国のネットパワーに、特に中国国外の人たちが期待した結果が、
金盾やVPNなど壁超え規制の強化をもたらしたとすら言えよう。
むしろこうした政策は、政治的モチベーションのみから生まれたのではなく、
内国産のネット企業が、
アメリカなどの巨大競合企業と血まみれの競争をせずに済む、
という経済的モチベーションもあったはず。
アリババもテンセントも、こうしたモラトリアムを得て、
悠々と中国国外でも稼ぐ環境を整えた。

経済に関して言えば、
輸出依存からの脱皮への心構えは、
少なくとも日本政府以上に進んでいると思う。
人件費が高くなったとはいえ、
西に行けば、未だベトナムより安く、
ノウハウを持った同一言語を話す指導者が沿岸部より供給される。
中間層の爆買いを内需として取り戻すことができれば、
パワーはあるだろう、日本の街角を歩いていても感じ取れると思う。

日本の10倍の人口の中から、
揉みくちゃにされてのし上がってきた中国の指導者たちだから、
そんな簡単に、崩壊させるようなヘマは犯さないと思う。

最近「中国崩壊論」を日本であまり耳にしなくなったのは、何故だろう。
単に飽きただけなのかな。

捉え方によって中国は僕たちにとって脅威だと思うし、
いつかこの体制が崩壊して大混乱に陥るシナリオだって無くはない。
経済成長から取り残された人たち、
政権に抑圧されている人たちが数多く存在するのも事実。
こうしたことが、一層可視化されなくなることを念頭に置きつつ、
関心と注意を怠らないことが大切だと思う。

食と豊かさを考える – 福島香織 著「中国食品工場のブラックホール」

食べ物を誤ってテーブルや床に落としたとしても、数秒以内に拾い上げたら、食べても問題ない、と言う「3秒ルール」とか「5秒ルール」が日本にもある。
食べ物に対する清潔感とは不思議なもので、例えばトレッキングに出かけて、沢を流れる水は美味しいとごくごく飲めるだろうけど、そこに誰かが落としたおにぎりの残党たるご飯つぶなどが浮いているものなら、なんか汚された感じがして、沢の水を飲むことを躊躇ってしまう。食べ残しか知らないが、ご飯つぶは食べられるものなのだから、たいして問題は無いはずだ。むしろ清流にみえる沢の上流で、誰かが放尿しているかもしれないが、そのことは分からない。

アメリカが本社のOSIグループの中国現地法人である上海福喜食品が”潜入取材”で暴露された問題のうち、一つは床に落としたお肉をそのまま拾い上げて加工プロセスに乗せたこと。ぼくらの「3秒ルール」に照らし合わせると、特に問題行為とは思えない。むしろ、床に落としたお弁当のソーセージはそのまま食べちゃくこともあるけど、上海福喜食品の「3秒ルール」は、その後加熱処理するわけだから、むしろ安全性が高い。
もう一つの問題、賞味期限について言えば、私の奥さんは相当無茶をする。賞味期限切れの食材を家族に食べさせるために、良く言えば工夫している。ちょっと臭いがするような食材でも、料理にまぜて使ったりする。冷蔵庫をのぞき込み、消費期限切れの食材を発見すると、私や息子は不安を告げるが、よほどのことが無い限り、使いきっているようだ。このことでお腹を壊したことはまだない。
貧しかった頃、人々は工夫したもので、腐った豆や魚を食べる勇気がなかったら、味噌や醤油や納豆やナンプラーの発見は無かったはずだ。ホームレスの人がコンビニのゴミ箱から食べ残こしのサンドイッチの欠片を拾って食べたとしても、それは果たして不潔なのだろうか?
大量生産のために画一化された規格に外れたものが、食品として不適格と考えるのは、豊かになった私たちのおごりと言えるのではないだろうか?

けれども、化学物質の混入はまったく別の話だ。
ごまかしでも悪質だし、落としたものや期限切れのものを混ぜることとは本質的に異なると思う。
とは言え、これも中国固有の問題とは言い難い。
大戦後の日本の子どもたちは、アメリカから強要され脱脂粉乳を給食で飲まされ続けてきたが、栄養価を高めるためメラミンを添加されたものだったらしい。乳児ではなかったら生き抜けたのかも知れないけれど、貧困・食糧不足のフェーズにおいて、故意に添加物で価値を上げるという手法は古今東西行われてきたのだと思う。
メラミンもチクロもサッカリンも、昔はその危険性を深く追求されてこなかった。
けれども現時点で、明らかに危険・有害と認定されている化学物質を混入することは、許される行為とは言い難い。

著者も触れているが、地溝油や人工卵やフカヒレ、アワビには、エネルギーや食料不足に立ち向かうためのヒントがあるようにも思える。
使用済み食用油や残飯から生産される地溝油は、そのままでは食するに危険だ。けれども有害成分を除去する技術が確立すれば、エコロジーの循環が作れるかもしれない。少なくとも、灯油や重油に代わるエネルギーとして利用することは可能だろう。
人工卵などの食材も安全性が確保されれば、安価にタンパク質源を供給できるとともに、哀れな鶏を増やさなくとも済むかもしれない。安全で美味しいフカヒレが生産できれば、生態系破壊は少しでも抑えられる。
そもそも日本人が好んで食するイクラや数の子だって天然物などごく僅かなはず。世界に誇るカニカマ(裕福になった日本ですら、カニカマと積極的に表示せずカニサラダなどが売られたりしている)を創った技術力と安全管理の手腕を以って、日本企業が力を貸してあげたらどうだろう。

本著にもある通り、中国でも都会で良い生活をしている皆さんは一般的に食への安全意識が高い。また、自ら生産する農牧民もそうだろう。いんちき食材のターゲットは、安全な食品を手に入れることが出来ない中流未満の貧しい人々だ。こうした人達は、安全より空腹を満たすことが大切なのだ。
安全が保証された食品は決して安価ではない。アメリカでは豊かでない人々ほど肥満が多い。これは安全とは言えない工業的大量生産のお肉やファストフードを頻繁に食べているから、と言われている。
食の安全の本質は、誰もが安全な食品を食べれるような世界を目指すことだろう。
中国のように、安全な食品を食べれる人たちとそうでない人たちが混在している国だからこそ、問題が顕在化する。それは決して悪いことではない。アフリカの一部の国々など、安全な食品を手に入れられない人たちがマジョリティの地域だって、地球上にはたくさん残されており、危険な食品問題は顕在化されにくい。乳の出ない母親にとっては、メラミン入の粉ミルクであっても、やせ細る赤ちゃんに飲ませてあげたいものではないか。

ところで、上海福喜食品の”事件”は、外資系工場・外資系ブランドの製品であっても、中国の豊かな人達は、その安全性や品質を信じていない、という事実をみごとに裏付ける出来事といえよう。
日本ブランドのオムツやトイレタリー、粉ミルクなど、赤ちゃん用品や日常肌に直接つかう商品は、中国で人気が高い。日本企業の多くは、売れ行きの良い商品から中国生産に切り替える。特に紙おむつや生理用品など物流コストが高くつく商品は、消費地の近くで製造するに越したことはない。中国向けにスペックを落とす商品もあるが、最近は日本向け商品と同じスペックで中国で製造する商品も多い。
それなのに、中国製造商品は人気がない。同じスペックの商品でも、わざわざ日本製造の商品を日本から買い寄せる。
これは、中国人が中国人を信用していない証左だ。厳密に言えば、日本ブランドが買えるような中流以上の中国人が、日本ブランドなど外資系工場で働く中流未満の中国人を信頼していない、ということ。
いくら原材料や製造プロセスが同じと言っても、中国人が製造工程に関わっている以上、いんちきやズルがあるかも知れない、異物が混入するかもしれない、プロセスで手抜きをするかもしれない、だから中国製造は信頼出来ない、というロジック。
日本企業の品質管理は万全です、と胸を張れない事情もある。モチベーションの低い日本人工場長がいないとは言えないし、そもそも万全な品質管理などありえないのだ。

本著にも触れられていたが、日本企業と欧米企業では中国企業の現地化の方向性は概して異なる。
日本企業の場合、日本の本社から派遣されたトップが、現地社員と一丸となって、理念から啓蒙していく手法が一般的。欧米企業(特にアングロサクソン系)は、海外経験のある華人のエリートをいきなりトップに据える。どちらにも一利一害があって、どちらがうまくいくとも限らないと思っている。結局は人、特にトップの人格や能力に依ると考えている。
少なくとも、日本式の心が通じ合えればマネジメントもうまくいく、とかしっかり教育・養成すれば幹部として定着するとか、という幻想は捨てたほうが良いと思う。日本的品質管理は、性善説と長期雇用の家族主義に支えられている部分が多い。中国に限らず、多くの国々では通用しない、と思う。
インセンティブとペナルティ、飴と鞭で管理しなければ、立ち行かなくなるはず。
工場で働く人たちは、自分たちが作っている食品を、値段が高いため自ら口にすることができない。工員はやっかみでイタズラもしたくなるだろうし、そう考えれば、管理側も日本式教育だ育成だ、とも悠長には言ってはいられないだろう。

”この食品、商品をどんな人たちが作っているのか、その人たちの給料はどのくらいで、どんな暮らしをしているのか、どんな思いで作っているのか”
本著の締めくくりにあるように、私たちは食するとき、消費するときに、一瞬でいいから想像してみたいと思う。同時に、この食品、商品を享受できるのは、どういう人たちで、どれくらいありがたいことなのかを。

いまこそ、新しい経済のシステムと価値観を創り始めるとき。 水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」

資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」を取り込むことで「中心」が利益を得て拡大されていくシステム。

資本主義の起源は13世紀、キリスト教会が「金利」を認めたことに遡るという。
そう、資本主義の主役はいつの時代もキリスト教世界。
当時はヨーロッパ大陸の封建領主が資本家で、「周辺」は東欧やイギリスだった。
16世紀になって「周辺」は”新大陸”やインド、アジア、アフリカへと広がった。
20世紀にアメリカが「中心」となって、最近まではBRICsが「周辺」だった。

いま資本主義は「周辺」空間を失ってしまい、同一国家内に「中心」と「周辺」を作り出してしまった。
富める国、貧困国と言う構図ではなく、経済力の大きな米西欧日本でも国民の間で経済格差が広がている。
新興国と呼ばれている国々は、所謂経済のグローバリゼーションによってごく一部の富裕層を生み出しているだけで、
彼(彼女)たちが「中心」となり資本主義を実践している。
貧富の差拡大は、何も中国に限ったことではなく、東南アジア、インド、アフリカなどでも、顕在化している。

資本主義は「周辺」という「空間」を埋め尽くすことで「中心」の資本が膨張する仕組みだったが、21世紀に入って「中心」の移動が滞る事態に陥っている。
象徴的なのは、利率の低下。
そう日本では1995年からもう20年近くも実質ゼロ金利だ。
アメリカも低金利政策を採用し、元に戻そうとすると市場が敏感に反応するので、塩漬け状態に陥っている。

シンプルに言えば、金利は投資リターンと同義だ。
金利が2%を切ると、投資リターンはゼロと同じだから、こうした状況が続けば、資本主義は成り立たなくなる。
いまそう見えないのは、サイバー空間が千分の一秒の”時差”を使った投資リターンを擬似的に生み出していることと、
新興国に過剰に行き渡った資金を何とか吸収するだけの「空間」が残っていたからだ。

けれども、過剰はいずれ調整局面に入り、前世紀末日本が体験し、09年に欧米が体験したバブル経済の崩壊が、新興国でも起きることを意味する。
特に、図体のでかい中国のバブル崩壊は、グローバルレベルでの資本主義の崩壊の引き金になりかねない。

資本主義は、中心と周辺、ごく一部の富裕層と大多数の貧困層を生み出して、資本の行き先を失った時点で機能しなくなるだろう。
確かに、成長のプロセスにおいて、資本主義は多数派の中間層を作り出してきた。民主主義の担い手だ。
中間層が多数派であるうちは、多数決が原則の民主主義はかなり機能してきた。
けれども貧困層がマジョリティになってしまうと、民主主義が機能しなくなる。
アメリカは民主主義の精神を重視している国家だと認めるが、現状は金融資本が国家を支配している。

かつて、資本主義は労働者を搾取しているとして批判され、共産主義が開発された。
けれども、資本が国境をほぼ自由に超えられるグローバリゼーションの時代になって、搾取されているのは「中心」の国家と「周辺」の空間だ。
資本の行き場が無くなりつつあるいま、経済が成長し続けるという妄想は捨てなければならない。
国家は経済的な主権を資本家から取り戻さなければならない。
もはや過剰が無駄であることを、すべての地球市民は認めなければならない。

ほんとに困っている人たち—実はこうした貧困層の生活は地球の寿命を縮めている—のために、過剰資本が流れる仕組みが必要だろう。
投資リターンを求めるという経済活動では無い価値観のあらたな仕組みによって、
化石エネルギーと食糧の枯渇を長引かせ、森林資源を守り、CO2の排出量を削減し、
少しでも地球とその住民の寿命を伸ばすために、
僕たちは、資本主義に代わる新しいシステムと価値観を創り出していく作業に取り掛からなければならないと思う。

性風俗取り締まりは中国を救うのか

広東省の東莞市で性風俗の厳しい取り締まり(中国では「厳打」と呼ばれる)が行われたことは、中国国内でも大きく報道され、娘が東莞に出稼ぎに出ていた、というだけで、面子を失ってしまった農村部の親も多い。東莞は台湾・香港系製造・組立業を中心とした工場が多く、地方や農村から多くの労働者が出稼ぎに来ているわけで、性風俗労働者は少数派なのにである。

東莞での性風俗取り締りは日本でもニュースになったほどだから、ご存じの方も多いと思う。
でも、東莞の取り締まり以降、中国の各地で「厳打」が行われていることを、中国国内報道ではあまり触れないし(各地方レベルではニュースになっているようだが、東莞のように全国的に大きく報道されることはない)、あまり話題にもなっていない。

北京のとあるホテルでは、23時以降の訪問者が全面的に拒絶された。
レギュレーションではホテルのフロントで訪問者が身分証を提示して登録すれば入れてもらえることになっている。とは言え、出張性風俗労働者は身分証を所持していないケースが多く(逃亡できないよう胴元が預かってしまうらしい)、通常の運用ではホテル側黙認のまま、無登録で入れてもらえるケースが多い。ホテル或いは警備員などに金品提供して”提携”している場合も多い。
ところが、2週間ほど前に北京のホテルに宿泊した際、登録するためフロントに声をかけたのに、男性訪問者ですら一切ダメと言われたのだ。

ぼくは性風俗ではない一般的な出張マッサージをときどきホテルに呼ぶ。ホテルから馴染みのマッサージ店に連絡すると、「いま厳しくなっているので男性マッサージ師で良いですか?」と問われたのでOKして待った。このお店は女性マッサージ師は、きちんとホテルで身分証を示し登録してから部屋に上がってくる。それでも入れてもらえないケースが続出したので、男性マッサージ師ならば部屋に通してもらえるだろうという算段だったのだろう。数十分後、マッサージ店から連絡があり、男性マッサージがロビーで待っているから迎えに言ってもらえないか、と。下りると馴染みの男性マッサージ師だったので、警備員に友だちだ、と説明したのにダメで、フロントに掛け合ったが、現在は23時以降の訪問者はいっさい通していない、と言われた。
結局、そのマッサージ師にはタクシー代を払って、帰っていただいた。

上海では、いかがわしい床屋やマッサージ店がほぼ壊滅状態とのこと。
いっぽうで、高級ナイトクラブやカラオケ店には直接的な摘発はなかったようだ。もちろん、「お持ち帰り」などは自粛しているように推察するが。

東莞の「厳打」が中央政府の指示のもとで行われたわけだから、他の地域でも行われるのが当然といえばそうなのだが、中国では何処かや誰かを見せしめにして収拾させるケースのほうが多い。今回の全国的「厳打」は習近平体制の「聖域なし」的姿勢のあらわれならば、それはそれでいいのだが。
「厳打」を表に立てた権力闘争ともお手柄競争とも言われている。
性風俗が目的ではなく、性風俗関係者や利用者に反体制的な組織が紛れ込んでいるから、などと解説する中国の知人もいる。

断じて性風俗を肯定するつもりはないが、「厳打」後の東莞は活気を失った、と聞いている。客の多くは香港からの日帰り・一泊組だったりするのだが、彼らは性風俗にだけお金を落とすわけではなく、タクシーにも乗れば、食事もするだろうし、宿泊もするだろう。
さらに気の毒なのが、中国の性風俗労働者だ。
自身の贅沢のため仕事に就いている人も多いだろうが、地方・農村部出身者の中には家族への仕送りのために性風俗に従事している人たちも多いのだ。職を失えば、田舎の家族の現金収入が無くなってしまう。

上海で「厳打」されたのは、主に中低所得者が年数回の贅沢のために通うようなところ。いっぽうで、金持ちにはいくらでも享楽の聖域は残されている。

性風俗取り締まりは中国を救うのだろうか。

水は低いところに流れていく — 福島香織著「中国複合汚染の正体」

中国の大気汚染はPM2.5という指標とともに、日本でも関心が高まった。
中国国内メディアも頻繁に取り上げ、中間層・富裕層を抱える沿岸都市部を中心に関心が高まり、共産党政権もその足元を揺るがしかねない問題として、その対策に乗り出している。

しかし、中国では国内で報道されず、海外メディアが取材しようとしても地方政府に妨害されるような土壌や河川の汚染が多く発生している。こうした汚染地域にはがんの発生率が高く、「がん村」と呼ばれているところもある。その多くは農村部にあるため、中国都市部に住む中間層・富裕層の大多数にとっては他人ごとであり、共産党政権の中枢にとっても封じ込めておけば大問題にはならないという意識がある。

都市部に住む共産党幹部は、PM2.5濃度の高い汚染された空気を逃れることはできないが、「がん村」に代表される水質や土壌が汚染された地域の水を飲むことは無いし、農水畜産物を食べることも無い。
このことは、共産党幹部に限らず、中国の多くの中間層・富裕層にもあてはまる。

政治指導部や金持ちにとって、大気汚染は自分の問題でもあるが、水質や土壌の汚染は他人ごと。
だから、PM2.5はメディアに露出し、いちおうの対策も進んでいるが、もう一方の問題はほとんど置き去りなのだ。

さらにマクロな見方をすれば、中国に汚染を押し付けたのは先進国だ。特に日本の責任は重い。
高度成長期の日本は公害で悩まされた。被害が大きくなり、国は公害対策に乗り出した。排気も排水も汚染物を除去するように義務付けられ、市民社会の監視も厳しくなった。
日本企業が製造拠点を中国に移した主な理由はコストだ。人件費も大きいが、公害や環境対策費も重要だ。中間材料なども、中国などから調達するようになった。
そして、日本は工業を海外に移し、サービス産業のポートフォリオを得た。

いっぽう、最近までの中国の経済成長は、日本をはじめとする先進国の工業を受け入れることで加速した。
多くの中国企業は、先進国からのコスト要求を満たすことと自らの利益を拡大させるために、環境対策を軽視した。
極論するなら、その最大の被害者は中国の地方農村部などの汚染地域で生活する人たちであり、最大の利益享受者は先進国で暮らす私たち自身なのだ。

本著では、とある「がん村」の原因をつくったとされる味の素についても触れている。
河南省の蓮花味之素(中国国内向けにうま味調味料を製造)は排水を浄化するコストを惜しんで未処理のまま垂れ流した。川には奇形の魚が泳ぎ、村民のがんの発生率は高まったという。味の素は、合弁会社の経営陣が勝手にしたこととし、責任を逃れるように合弁事業から手を引いた。
確かに、排水浄化システムは味の素のノウハウを活かして導入された。コストを抑えるため中国側の経営陣が稼働させなかったのだという。
しかし、合弁会社の株式は味の素グループで過半を占めており、共同経営責任とともに株主責任は重いはずだ。

中国のさまざまな汚染の責任と対策を、中国一国に押し付けても解決しない。
私たちの快適な環境の歪を押し付けられてきたのだ。
中国の政治体制が変らない限り、例えば企業責任が公平に問われる環境、恣意的な司法と法執行の改善が進まなければ、なかなか解決しないだろうとは思う。
けれども、中国の汚染は少なからず私たちが消費するモノにつながっている。中国に汚染を押し付けている企業を見ぬくこと、そうしてコストを抑えたような商品を避けることなどはできる。

水は低いところに流れる。汚染物質も貧しいところに押し付けられるのだ。


在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由

日本人の中にも、中国は怖い国で中国人は野蛮だと思っている人たちはいる。
中国人を乗せないタクシーもあれば、未だに中国人お断りの温泉旅館もある。
ただ多くの日本人は、中国人に面と向かって、そうは言わない。
一部の中国人が、ストレートにモノを言い、感情を顕にするのと違う。
ただそれは、日本人に対してだけではない。自国民に対しても遠慮はない。

政治に関わる国家間の問題は、国民ひとりひとりに関わりがない、とは言えない。
特に日本は民主主義を謳っているのだから、領土問題にしても外交問題にしても、突き詰めればそれは国民ひとりひとりの意志となる。
尖閣諸島を国有化した政治判断にしても、ほんらい日本国民ひとりひとりに説明責任がある。
中国と少し違うところだ。
中国政府が、尖閣諸島を占領しようが、チベットの人たちを虐げようが、中国人民は他人事としても責は問われないだろう。

ただ日本という国家はかつて中国の人たちを虐げた。だが中国は近世以来日本を侵略したことはない。
これは事実だ。
そして、日本が中国で起こした戦争について、日本国民の責を問わない。
これも中国政権が一貫して撮り続けている態度だ。

この書籍の編集者、執筆者、写真、レイアウト、すべて中国在住の日本人だ。
2012年の反日機運の高まりを、一次情報として自ら体験した人たちだ。
そして、その想いはそれぞれだ。

ただ共通していることがある。
メディアの伝え方に対する異議だ。
身近で体験し感じたことと日本のメディアが日本国民に伝えている内容との乖離。

ぼくは、日本の商業メディアが、日中関係を悪化させている張本人の一つだと思う。
中国のメディアも反日を煽る。でもそれは政治にコントロールされているメディアがほとんどだ。
しかも、中国人民はそうしたメディアが伝える情報をあまり真剣には受け取らない。
多くの日本人が、メディアに妄信的であるのに反して。。。

中国では借金してる奴が一番偉いのだ。

  • 6月20日、SHIBOR(上海銀行間出し手金利)が急上昇し、短期で10%を超えた(いまは、ほぼ落ち着いた状態に戻っている)。
  • 「銭荒」(資金不足)という言葉がニュースやネットを飛び交う。
  • 大手・中堅商業銀行、デフォルトの噂。
  • 銀行側がシステムトラブルを原因とするATMの利用停止が、取り付け騒ぎ防止の策と囁かれる。
  • そして、中国株は連続して大幅な下げ。

中国経済の破綻を期待する向きには、恰好な材料が揃った!

多くの人達は、シャドウバンキングを悪者にする。
資金は余っているのに、正しく流動しないで、良くないところに留まっている、と。

ぼくは経済の専門家ではないので、実務上の経験を披露したい。
中国で中小企業が銀行からまとまったお金を借りることは、そう簡単ではない。
かつての日本の銀行同様、固定資産くらいしか評価しない。
事業拡大のための資金を調達するには、銀行からの融資よりも、個人・エンジェル・VC・PEなど様々なタイプの投資家から出資を受けるほうが、むしろ簡単なのだ。

事業拡大資金なら、投資を受けることもできようが、日常の運転資金となるとそうもいかなくなる。

銀行が貸してくれないと、知人友人縁故を頼りに資金を融通してくれるところを探すことになる。
その一つにシャドウバンキングがあり、裕福な個人がいる。

とは言え、シャドウバンキングの金額的な最大顧客は地方政府や地方の開発を託された中小ディベロッパーだろう。

地方政府は相変わらず農地や荒地を開発して、工場や企業を誘致し、地元雇用を確保し、地元住民の所得向上を目論むからこそ、家賃が以前の百倍になろうと、彼(彼女)たちが住むような住居までも用意しようとする。
そのための資金は、元住民や耕作者から分捕った土地使用料の転売代金と若干の公費しか無いわけで、ディベロッパー(開発事業者)が資金を肩代わりしなければならない。

イケてるロケーション、スマートな地方政府などであれば、香港や台湾資本を含む大手ディベロッパーが手を挙げてくれる。
でも、そんな地方開発が中国のいたるところで行われているわけで、こりゃイケてない、企業誘致もままならないから、投資回収できない、みたいな開発事業のほうが、数としては圧倒的に多い。

そんな事業には銀行としてお金を貸せないから、迂回融資的シャドウバンキングが蔓延るわけだ。

こうした地方開発事業は、すごく早くて3年、一般的には10年くらい経たないと、キャッシュ・インの状態にはならない。
その間は当然、資金の流動性が無くなってしまうで、プロジェクトの途中で資金繰りがつかずに頓挫するケースも少なくない。この場合、プロジェクトの引き取り手が見つからない限り、現金化することはできないわけだ。

話は変わるが、中国では債務を持つものが最もパワーを持っている。
借金してる奴が一番偉いのだ。

売掛金をなかなか回収できないことは、中国で仕事をやったことがある日本人なら誰でも経験済みだろう。借金も基本は一緒。返せないから返さない、この論理が意外なほど中国では通用する。

中国では企業間貸借は法律上認められておらず、銀行を通した委託貸付にしなければならない。だが、銀行から手数料をピンはねされるのがイヤで、実務上企業間のお金の貸し借りは直接行われることも多い。

これは、法的保護外なので、会計上は貸付金にせずその他未収金で計上され、借主が返さなくとも訴訟沙汰にしにくい。

お互いの信頼関係で、貸し借りするので、バックレるということは少ないのだが、期限まで返済する(できる)ことは稀れ。契約書の更新もされず、「出世払い」ということで放置されている債権・債務が驚くほど多い。
これもまた、資金の流動性が損なわれる一例だ。

ただ、不思議なことに、こうした債務は長い目で見れば、取り返せる場合が多く、中国の企業家にとっては日常的な話なのだ。

中央銀行である中国人民銀行は、「資金は足りなくないのだから”金融緩和”の必要はない。むしろ、資金が滞らないように流動性の管理を徹底しなさい」と銀行に説教を垂れた。

資金の流動性を確保するためには、

  • まず、地方の開発資金を銀行が正規融資するように仕向けるべき。国際会計基準などお構いなしで、出世払いで返済してもらえば良い、くらいの覚悟をもって。
  • 事実上凍結されている新規上場を再開させなければ。IPOでのエグジットを目論んで、中国企業にたくさんの資金が流入したままだ。株式公開でもしなければ、資金は動かない。ま、それが怖いから、新規上場を凍結しているわけでもあるのだろうけど。。